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『メガヒットの秘密~20年目のB'z~』 [B'z]

半年の密着取材にしては随分と薄っぺらい内容だなぁというのが第一印象。

番組制作というのは、
取材して得た情報をいかに切り貼りするかという作業。
使われる情報もあれば、もちろん排除された情報もある。
そして悲しいことに後者の方が圧倒的に多い。
その中に貴重な「稲葉さんの言葉」、「松本さんの言葉」が
あるのかもしれないと思うと、なんともいえぬ心もちになる。

しかし松本さんが一心にギターを弾き、
納得のいく完成形を求めている姿はとてもかっこよかった。
心底「音楽」が好きなんだなぁと、そんな想いが伝わってきた。

番組の後半で、「誤解を恐れずに言えば」と前置きした上で
稲葉さんは次のような発言をしている。
「100%の自己表現ではないということ」
うーん、実に面白いっ!!!!!!!
この言葉を聞いた瞬間、このたびノーベル物理学賞を受賞された
南部氏・小林氏・益川氏が構築した理論「自発的対称性の破れ」が浮かんできた。

360度どこへ進んでもいい、方向という概念がない空間があり、その真ん中に自分がいるとする。
外的な要因(風が吹いたとか、音が聞こえたとか)によって、自分はその方角へ進んだとする。
本来なら方向という概念がない空間なのに、
自分がある方向へ進んだ瞬間、「その反対の方向」が発生し、対称性が崩れてしまう。
これが「自発的対称性の破れ」の数学的な証明が一切ない(苦笑)ほんとに簡単な説明。

稲葉さんにとって、B'zというあまりにも巨大化した存在が外的な要因になり、
本人の自己表現に歯止めをかけているのかもしれない。
そういった感はご自身の「職業はB'zのボーカル」という言葉からも推し量れる。

個人的にはもうそろそろ聞きたいなぁ。
B'zから解放された稲葉浩志を。
100%の自己表現をしている稲葉浩志を。
ヴォーカリストの稲葉浩志を。

2009年、稲葉浩志のソロ作品発表を激しく希望します。
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コメント 4

志凛

こんばんは、Magnoliaさん。

MagnoliaさんはNHKスペシャルをご覧になって、
どのように感じられたのかしら...と思っていました。
偶然にも、稲葉さんの言葉の中で心に留めたのが同じ言葉だったのですが、
私がひっかかりを感じたのはMagnoliaさんと似ていますが、
ちょっと違うのかもしれません。

稲葉さんがB'zの制作で関わるのは作詞中心であり、
楽曲に関しては100%の自己表現でないことは自明のことでありながら、
敢えてあのような発言をするということと、
わざわざ「誤解を恐れずに言えば」と前置きをしたことで、
稲葉さんの、その言葉の意味するところを考えてしまいました。

敢えて「100%の自己表現ではない」と言わせたのは、
稲葉さんの深層に不本意な部分があるからではないかと思われますが、
しかし自己意識としては、
何もかも本意であり納得づくの活動であると、
たぶん稲葉さんは思っているのでしょう。

その自分自身の正当化で抑圧された自己が、
「誤解を恐れずに言えば」との言葉として表出してしまったのか...
と、私には感じられたのです。
誤解を恐れている自分自身がいるから、
そのような言葉が出てくるわけであり、
何故恐れるかといえば、
それは誤解ではなくて、
自分では認めたくない真実だからだと思います。
そして「誤解を恐れずに言えば」と前置きしたことで、
余計に稲葉さんが恐れている誤解(真実)を
招いてしまっているような気がしました。

そしてMagnoliaさんもご指摘のとおり、
singerに「B'zの」と付けたあたりが固着しすぎのようであり、
稲葉さんの自分自身に対する「縛り」を感じてしまいました。
それも、Magnoliaさんが「自発的対称性の破れ」を引き合いに出して
わかりやすく説明してくれたように、
B'zという巨大な外的作用が対称性の破れを生み出し、
バランスを保っていた稲葉さんの自由度が、
脅かされてきているのかもしれません。

やはり、プロデユーサー的な役割をも担い、
曲先行の松本さんが主導権を握っているわけで、
B'zの活動の中での自己解放度は二人を比較すると、
ずいぶん違いがあるのかもしれないと、
あのTVを観て改めて感じられました。

かなり期待していた番組でしたが、
一般のB'z認識の意外性を打ち出してくれもせず、
インタビューも返答が予測できそうなものばかりで、
内容が一面的であり、少し物足りませんでしたね。
それにやたらに稲葉さんの重苦しさだけが感じられて、
面白いとも思えず、感動もしませんでしたし。(苦笑)
45分間、全てB'zなのは嬉しかったですけどね。(笑)

長々と駄文のコメントで失礼しました。m(_ _)m
どうもMagnoliaさんのような文章力も表現力もないから、
簡潔に思っていることが説明できていないような気がしますが、
言わんとしていることを、なんとなく理解していただけるとありがたいです。

by 志凛 (2008-10-14 21:12) 

Magnolia

こんばんは、志凛さん。
コメントありがとうございます。

>内容が一面的であり、少し物足りませんでしたね。

NHKの番組ですからやはり大衆性を意識すると
あのような作りにならざるを得ないのかもしれませんね。
B'zを知らない方にはあれぐらいの方がわかりやすいのでしょうが、
やっぱりファンからすると物足りなさは否めませんよね。
でも無精ひげ姿の稲葉さんを観られたので、それは嬉しかったです(笑)

>私がひっかかりを感じたのはMagnoliaさんと似ていますが、
ちょっと違うのかもしれません。

志凛さんの「100%の自己表現ではない」発言への考察、
興味深く読ませていただきました。
普段は押さえつけ、内証の奥底にあり本人さえも
気付いていない真実が、この発言によって
浮かび上がってきてしまっているという考えは
とても興味を引かれます。

私自身、そこまで深くこの発言に関して考えていたわけではないので、
志凛さんの捉え方を読ませていただき、「なるほど…
こういった側面もこの発言の背景にはあるのかなぁ…」といろいろと
また考え、楽しい時間を過ごすことができました。

志凛さんは「ひっかかり」と表現されていますが、
私の場合は「納得」といった感の方が強いです。
「なるほどなぁ~」という感じですね。

番組の流れで言いますと、『グローリーデイズ』の作詞作業(歌詞直し)の
次にこの「100%の自己表現ではない」という発言が来ていますから、
おそらく番組制作側(インタビュアーの方)は作詞家としての稲葉浩志に
発言を求めているように私には見えました。
稲葉さんが「誤解を恐れずに言えば」と仰る前に
「この言葉にはこのメロディ…」という発言をちっさな声でされていたので、
作詞家として受け答えしてるんだなぁと私の中では解釈していました。

ですから「100%の自己表現ではない」という言葉は、
「B'zという枠組みの中で行っている作詞作業は
100%の自己表現ではない」という風に私には聞こえていました。

志凛さんも書かれていますが、B'zの楽曲は曲先行なので、
稲葉さんは出来上がったメロディに言葉をのせるわけですから
なかなか自分の使いたい言葉をホイホイと使えるとは思えませんし、
「B'z」の曲という看板だけで、かなりの購入数が予測できますから、
例えば政治色の強い歌詞は書きにくくなったりと
いろいろと(倫理とは別の次元で)制約が発生していそうです。
『透明人間』の際にも「一線を越えた」と発言されていたと記憶していますが、一線を越えることができたのはB'zというとても大きな存在から解放され行われた「ソロワークス」だからなのだと思っています。
あと単純に『POM』には、B'zの曲ではなかなか見受けられない
稲葉浩志の社会的視点が見られますしね。

歌詞を書く上で「使っちゃいけない言葉はない」という信念を
持っている稲葉さんが、様々な要因によってそれを達成できない
ちぐはぐさを、「100%の自己表現ではない」という発言から
垣間見たような感じがして個人的にはとても面白く感じたのです。

いつか稲葉さんは「ソロの場合は、僕が『よしここまで』っていわないと
終わりがないという感じ」と仰っていました。
この言葉から私は稲葉浩志のウキウキ感を感じてしまいます。
近々、稲葉さんの「よしここまで」という想いが具現化されたものが
発表されることを期待しながら待ち続けようと思っています。
いつになることやら…(苦笑)

by Magnolia (2008-10-19 22:48) 

志凛

こんばんは、Magnoliaさん。


>ですから「100%の自己表現ではない」という言葉は、
「B'zという枠組みの中で行っている作詞作業は
100%の自己表現ではない」という風に私には聞こえていました。


自分としてはそのことも含めて書いたつもりですが、
改めてコメントを読んでみると、かなり端折ってしまったようで、
やはり自分の書き方が表現不足だったようです。(苦笑)
常々、稲葉さんが言っているように、
メロディーから喚起される言葉があって、
そこからイメージが広がり作詞していくわけで、
となれば、曲を生かすためには、
自分自身の表現したい内容とは違う言葉も、
歌詞世界も出てくるだろうし、
当然100%の自己表現ではないはずであり、
だから何故わざわざ「誤解を恐れずに言えば・・・」と言うのだろうか、
TVで改めて明言したいのか...と、
「ひっかかり」は、そういう意味で出てきた言葉です。

あの番組での稲葉さんの言動に、
「B'zのsinger」としての更なる覚悟が感じられて、
今後も「B'zの稲葉」でなければ業界で生き残れないことを、
本人が自覚して仕事しているのではないかと思うと、
TV映像に映し出される稲葉さんのことが納得できました。


>いつか稲葉さんは「ソロの場合は、僕が『よしここまで』っていわないと
終わりがないという感じ」と仰っていました。
この言葉から私は稲葉浩志のウキウキ感を感じてしまいます。
近々、稲葉さんの「よしここまで」という想いが具現化されたものが
発表されることを期待しながら待ち続けようと思っています。


私もそう思います。
「B'zの稲葉」だから可能なソロ活動なのでしょうが、
少しB'zから解放された稲葉さんの、
個人的な歌詞世界を覗いてみたいですね。
そろそろガス抜きしたほうがいいと思うんですけどね~(笑)


NHKやB'zなど、大きな組織にとっては、
「大衆性」は大事な要素なのでしょうね。(苦笑)
ところで「大衆性」を形成する「大衆」とは誰で、
「大衆性」の中に、現実的な「大衆」が本当に存在しているのかしら...
と思うこともあるのですが、少なくとも自分は幸か不幸か、
その「大衆」の枠の中には属していないことが多いような気がしています。(苦笑)

いやぁ~久しぶりに稲葉さんに関して、
Magnoliaさんとお話ができて楽しかったです。
何度も登場して、くどいコメントになりましたね。(汗)
レスは結構ですから読み流してください。
by 志凛 (2008-10-21 20:44) 

Magnolia

こんばんは、志凛さん。
コメントありがとうございます。

私が稲葉さんに興味を持つようになり、
常々感心というか、すばらしいなぁと感じていることは、
稲葉さんの自らを客観的に見れる視野の広さです。
自分が社会的にどういった立場で、どれほどの影響力を
持っているかということを非常に冷静に見られている点は
素晴らしいといつも思っています。
稲葉さんの「誰かに聴いてもらって、考えを変えてもらいたい、
なんて思うことは一切ない。」という言葉が私をここまで惹きつける
稲葉浩志の魅力の多くを語っているように思います。

自らがオピニオンリーダーとなってしまった事を痛いほど稲葉さんは
痛感しているのでしょう。
「B'zのボーカル(singer)」からはそのような感じも受けました。
その背景にはやはりB'zという大きい組織があります。
変な話ですがB'zがそれほど大きな規模の組織ではなく、
記録の保持なんていうどうでもいい使命感などなければ、
今のB'zはもっと違った色合いになっていたのでしょうね。
まあ、「もしもの話」をしていてはキリがありませんが(苦笑)

文句ばっか言っておりますが今のB'zも嫌いじゃありません。
ただ自分がまだファンではなかった時代が良すぎただけです(笑)

>そろそろガス抜きしたほうがいいと思うんですけどね~(笑)

稲葉さんにはガンガンとガスを抜いていただきたいですね(笑)
ストックもきっといっぱいあるでしょうし。
こっちとしては全然2枚組でも構わないんですけどね。
むしろそっちのほうが嬉しいかも(笑)
by Magnolia (2008-10-26 22:40) 

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