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ドライヴしよう知らない世界へ [写真]

19日、土曜、大阪は快晴。
何もない日。バイトも無ければ誰かとの約束も無い。
何も無いから街を歩いてみた。
疲れ切るまで街を歩いてみた。

大学進学のため大阪へ来て、もう1年5ヶ月ほどの歳月が過ぎた。
岡山と比べると、大阪はまさに「大都市」の象徴として目に映っている。
密集するビル群、度を越えた雑踏…。
資本主義の生命線かと、日本の主要な経済中枢が此処には在るのかと、
こう度肝を抜かれたのは1年5ヶ月前の話。
今でこそ、交差点で向かい合う雑踏にも若干の慣れを感じるようにはなったが、
元来人ごみが嫌いな性分的なものもあるためか、抵抗は残っている。

だから、あまり大阪ではむやみやたらと出歩かない。
梅田へ出るなんて以ての外で、私の心中では
「梅田」と書いて「ラビリンス」と読むと理解している。
梅田周辺の地理を完全に把握している人なんているんだろうか。
もしいたとしたら、常軌を逸しているとしか、私には映らない(苦笑)

よって私の行動範囲はかなり限られている。
梅田へ出るにも、ある特定の局所しか行かない…じゃなくて行けないし(苦笑)、
あとは自宅近辺が私の「勢力圏」となっている。

大阪にはいるけれど、決して大阪に根深く埋没しているわけではなく、
どこか距離を置き、そこに深入りしないようにしている。
どうも無機質な感がする大都市は苦手だ。
岡山にいる時、自らの頭の中に形成した現実離れした、
理想郷チックなイメージ像はどこへやらで、内証に息衝く
「大都市への居心地の悪さ」を自らの心中に露呈させる結果となった。

『drive to MY WORLD』の主人公は、日常の何気ない差異が、
積み重なり重層を成すことで、目新しく斬新な「MY WORLD」を見つける。
ほんとに取るに足らないこと―今まで依存していた道路地図を捨て去り、
家へと導くいつもの角を反対に曲がり、コンビニ、神社を通り過ぎ、
今まで踏み入れなかった深い森へと進んでゆく。
きっかけはどうってことないことなのに、それがいつの間にかそうじゃなくなる。

型に嵌っている自分、そんな醜事への不穏な心持ちが、
既成の「自己」と言う枠を取り壊す、迷わないように所持していた
「道路地図」なんかは投げ捨て、いつも何の気なしに曲がっていた「角」を反対に曲がり、
踏み入れたことのない「深い森」へゆくという行動を喚起させたのだろう。
一つ一つの日常とは違う行為が着実に重層を続け、
確実に非日常を作り出し、自らを「知らない世界」へと誘ってくれると。



19日。
何も無いから街を歩いてみた。
疲れ切るまで街を歩いてみた。
何も知らない此処「大阪」を。
いつもとは違う速さで歩き、いつもとは違う道をゆく。
いつもは降りない、通り過ぎるばかりだった駅で降りてみる。
そしてまた歩く。いつもとは違う速さで。


おそらくもう二度と出会うことのない風景。
次はまた、別の景色を見てみよう…。

ちっちゃくまとまる世界にバイバイ


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コメント 2

志凛

こんばんは、Magnoliaさん。
私も大都市の片隅で暮らしておりながらも、「出不精」「人ごみ嫌い」な性分で
とっても狭い空間のみで生きています。(苦笑)

既成の自己が乱されず、危機的状況に陥らないようにと、
人は自分だけの「道路地図」的なものに依存してしまいがちになるのかもしれません。
でも、案外その地図から逸れた時に出会った事象によって、
新しい地図が書き加えられることもあるものだと思ってます。

時には、敢えて正反対な自分だったり、
通常では考えられない自分になってみるのも刺激となって、
既成の自己が壊されて変形していくのは面白いことじゃないでしょうか。
その変化がハッキリと確認できるものでもないけれど、
新しい非日常が入り込んでいくことで、徐々に既成の自己が変容していき、
様々なものが肉付けされて厚みを増してくるような気がします。
その厚みが良いことばかりでもないでしょうが....

Magnoliaさんの撮影された写真と共に、
この記事から爽やかな風が感じられたような気がしました。(笑)
by 志凛 (2006-09-08 23:03) 

Magnolia

こんばんは、志凛さん。
一夜に2つものコメント、ありがとうございます!

>私も大都市の片隅で暮らしておりながらも、「出不精」「人ごみ嫌い」な性分でとっても狭い空間のみで生きています。(苦笑)

そういえば、志凛さんは大阪よりももっと大都市に暮らされていましたね。
どうなんでしょう...
僕なんかが世界屈指の大都市「東京」なんかに住むことになったら、
ますます自宅大好き人間になってしまうでしょうか(笑)

>でも、案外その地図から逸れた時に出会った事象によって、
新しい地図が書き加えられることもあるものだと思ってます。

ちょっと目先を変えるだけで、多くの斬新な事象に出会えますよね。
今回の様に、いつもは行かないような場所に行くこともそうですが、
他にも普段は読まないような本を試しに読んでみるなど。
そうした事象から得られたモノが、これから先の人生により濃く
反映されてゆくか、はたまた何の糧にもならないかは自分次第だと思います。
全ては自決のもとに成立されてゆくものですからね。

「いつのまにか」じゃない
自分で選んで歩いてきたこの迷路

道路地図を投げ捨て、既存の自己という枠を壊し、「新しい地図」を
付け加えるか、はたまた敷かれたレールから食み出さないように生きるか。
他者による助言が在ったとしても、最終的に結論を出すのは、
紛れもない「自分自身」なのでしょうね。
by Magnolia (2006-09-09 15:18) 

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